現代において一般的にいい人と言われるのが、優しくて、思いやりがあり、
お金より夢に向かっている人でしょうか?
逆に悪い人とは、権力や地位を持った人、お金儲けをしている人がよく言われます。
キリスト教が出来る以前の社会では、リーダーシップがあり、筋肉もあり、
地位もあり権力もある、そんな人がいい人と言われていました。
これは普通に考えても、いい人でしょう。
しかし、キリスト教が布教され、世界中に広まっていくと、
いい人と悪い人の価値観が逆転します。
権力があり、他より秀でた物を持った人は事業にも成功し、資産を持つ人になります。
キリスト教は個人で資産を持つことを禁じていたので、お金を持つ人は悪という
価値観を植え付けていきます。教会にとってお金と権力を持たれると
厄介な存在になります。
逆に一般の市民は貧しい人も多く、そんな人たちはお金を持つ人に不満を
持ちます。それもキリスト教が布教に成功した理由にもなります。
本当は誰もがお金持ちになりたいものです。
しかし、我々は生まれたときから、道徳観、宗教、教育によって、
みんな平等で、平均値をこよなく愛し、右倣えの価値観を植え付けられて
生きています。
自分の自信のなさ、成功のために一歩踏み出す勇気が持てず、失敗したときに
他人に笑われる恐怖により、人と違うことをするのを萎縮してしまいます。
イソップ物語にきつねとブドウの話があります。きつねは高いところにある
ブドウが食べたかったが、届かないため、「きっとあのブドウは酸っぱいから
食べなくて正解だった」と自分に言い聞かせて諦めてしまいます。
多くの人がこのきつねと同じで、自分の能力のなさを誰かのせいにして
生きていかないと精神的に参ってしまいます。
きつねも、もっと努力したり、違う方法を考えたり、工夫することで
ブドウを手に入れられたかもしれません。
我々も、人と比べたり、自分を卑下にするのではなく、古代人のいい人を
目指して自分を成長させることです。