お金持ちの人、背の高い人、顔がきれいな人、権力がある人。
我々、人間は平等を欲しながらも、不平等な生き物です。
しかし、死だけは平等にやってきます。
人々は過去にも不老不死の妙薬を探したりしましたが、
結局は死からは逃れられません。
では、なぜここまで死を恐れるのでしょう?
大きく分けて3つあると考えられます。
一つは愛する人、大切な人との離別です。
別れは悲しいことで、もう二度と会うことができません。人生においてこれほど悲しいことは他にありません。
二つ目は死後の世界を全く知らないことです。
これは未知に対する恐怖です。宗教では死後は楽園があり、死んだ後は
天国で楽しく暮らせると言われます。しかし、誰も見たことも聞いたことも
ありません。しかし、誰も死後の世界から嫌になって帰ってきた人がいないので
恐らく天国は楽しく、満喫していることでしょう。
三つ目は死のプロセスを知らないことです。
人が死にゆくとき、どう感じてどう進んでいくのか解らないことです。
死に際に接した人は、「苦しまずに逝けてよかったね」「死に顔が安らかだった」
など言う人がいます。しかし、死には苦しみを伴うのかさえ、わかっていません。
現在の研究では、死の間際は、肉体から精神が分離を起こし、自分のことを
他観している状態と考えられています。
つまり、息絶える自分を俯瞰した状態なので、痛みは伴わないというのです。
生き物にとって死は絶対に訪れるもの。
過去何十億年と繰り返されてきた、生命の誕生と死。
その過程で死を苦しいものとして受けいれることは生き物にとって過酷です。
そのため、苦しまず逝けるように進化したはずです。怖がることはありません。
ただ死があることは、我々にとってメリットでもあります。
無限に生きることは人生に生きがいや満足感を得えません。
むしろ、苦しい人生なら、終わってほしいと願うこともあるでしょう。
終わりがあるから、今を頑張れるのです。
死に対する恐怖を克服するには、
死を怖いイメージから、ゴールテープのようなイメージに変えることです。
人生をマラソンに例え、最期のゴールテープを切るときを死とします。
途中でさぼったり、歩いたりすることができますが、全力で走り抜けた方が
達成感や充実感は大きくなります。
最期のゴールテープを切ったとき、これまでの人生に悔いはなかったと言えるように
頑張ることができるのも、死があるお陰なのです。
終わりばかりに怯えないで、今を真剣に生きて自分に誇れる人生を
送れるように一日一日を大切にしましょう。