ある本に、幸せは一人では感じられないと書いてありました。
思い返せば、一人の時に大笑いすることもなく、楽しい感情は少ないのかも
しれません。
幸せは二人以上で感じるもので、愛と似ている気がします。どちらも欲しいと
思っても手に入らず、与えることによってのみ存在します。
分け与える行為は素晴らしいことだと、誰もが頭ではわかっています。
しかし、実際は自分の所有物が減ることに抵抗感を持つ人が大半です。
それは自分の物が減ると思うときにストレスを感じるためです。
普段から我々は人に物をあげることなく、自分でため込んでしまいます。
まるで、欲望やストレスを一緒にため込むように。
昔の社会は今のように希薄ではなく、近所付き合いも盛んで、お裾分け交換
も日常茶飯事でした。そのため社会全体が幸せな空気で包まれていたようです。
現代では人間関係の希薄化とともに社会が暗くなり、希望も見えない状態です。
それは幸せを分け与えることをやめてしまったからではないでしょうか。
幸せを教えてくれるはずの宗教や、哲学を学校や家でも教わることがなくなったため、
幸せはどうすれば手に入るのかわからない人が大勢います。
みんな難しく考え過ぎなのです。
最初に説明した通り、幸せは分け合えば手に入ります。
たとえば、能登地震の被災者に支援物資や寄付を送ったり、発展途上国の人に
寄付したり。困っている人に自分の持っているものを分け与えることは、相手を
幸せにします。幸せになっている人もみると、自分の心も温かいもので満たされて
いることに気づくでしょう。これが幸せです。
大きな問題でなくても、家庭でもそんな場面はたくさんあります。
家族のために自分の時間を分け与えて、家族サービスをする。
子供に知識を分け与えて勉強を教える。
お菓子を分け合うでもいいのです。
分けることができるものは、身の回りにたくさん溢れています。
それに気づいていないだけです。
毎日の生活の中で分けられるものを探しましょう。
この習慣が続くと、気付いたときには幸せはすぐ近くにあります。
幸せの青い鳥のように。