有心の百錬、鋼を成す!

常に自分の成長を目指して!

愛するということ

アドラーの幸せになる勇気より、愛について深い見解がありました。

 

アドラーは、崇高な汚れを知らない相手を神格化するような愛、または

性的な動物的な愛ばかりが、一般的に愛として語られるが、誰ひとりとして

人間の愛を語ろうといないと言っています。

 

恋とは簡単に落ちたり、制御不能な衝動に駆られたりするものではなく

意思の力によって、何もないところから築き上げるものだからこそ、

困難を極めるのです。

 

多くの人はこの原則を知らないまま愛を語ろうとします。だから、人間には

関知しえない「運命」や動物的な「本能」といった言葉に頼らざるをえなくなります。

自分にとって大切なはずの課題を直視しないでいるのです。

端的に言えば、愛する努力をしていない。

 

シンデレラがガラスの靴を履いて、王子様と結ばれるところばかり注目されますが、

アドラーはふたりが結婚した後の生活に注目しています。

 

我々は、ひとりで成し遂げる課題、あるいは20人で成し遂げる仕事については

教育を受けています。しかし、ふたりで成し遂げる課題については教育を受けていません。

 

愛するということは、「わたし」や「あなた」から、主語が「わたしたち」に

変わるのです。

今まで自分中心に生きてきたのが、ふたりで幸せを築くために、

ふたりで歩きだすのです。相手のために自己犠牲を払うことが美徳のように

語る人もいますが、ふたりが共に幸せにならなければ意味がありません。

 

運命の人は存在せず、誰とでも恋をすることはできます。しかし、「出会いがない」、

「巡り会わない」と、いつも嘆いている人は、近くにいる人の存在に目もくれず

幻想ばかりを抱いています。そういう人は幸せになる決断ができないからです。

 

この人と一緒にいれば幸せになれると感じたなら、一緒にいる決心をします。

その相手とダンスを踊るかのように、その瞬間を全力で生きていく。

その生きた軌跡が運命となるのです。

 

人間は別れを前提に出会いをします。

いつか別れる日がきたとき、「この人と出会い、この人とともに過ごした時間は

間違いはなかった」と納得できるよう不断の努力をおこなうのです。

あなたは最愛の人との最良の別れを受け入れることはできますか?

それが今を真剣に生きるということです。

 

愛する勇気とは幸せになる勇気です。

待っているだけは幸せになれません。

アドラーと共に幸せになれる方法を考えていきましょう。