この連休を使って奈良に家族旅行に行ってきました。
紅葉にはまだ早かったですが、流石世界の観光地。色んな国の人たちが
集まって賑わっていました。
中学生になった我が子は外に出掛けるのも面倒になり、東京やアウトレットに
買い物に行くなら付いてくるが、ハイキングや山登りには付いてきてくれなく
なり残念に思っていました。年頃の娘は難しいですよね。
最初は乗り気でなかったのですが、いざ奈良の大仏など教科書で見たことのある
名所を目の当たりにすると壮大なスケールに驚きを隠せていませんでした。
日頃から子供に「何を残せてあげられるのか?」「何をしてあげるべきなのか?」を
考えていますが、一番は思い出や経験ではないでしょうか?
いくら親が頑張って勉強を教えても、本人にやる気がなかったら意味がないし、
生活態度の改善を望んでも、自覚がなければ無駄に終わってしまうでしょう。
本人が変わるきっかけは他人が与えるものではなく、自分の失敗や経験から
「変わらなきゃ」という自発的な気持ちです。
つまり、変わるも変わらないも本人の気持ち次第ということです。
わたしは子供に勉強は一切教えていませんが、塾に通い頑張って上位の成績をキープ
しています。親が言わなくても自分がしたいから頑張っているのでしょう。
これから言えることは、親の価値観に誘導することではなく
本人が少し困るような小さな問題を与えてあげることです。
たとえば、洗濯した服もたたんでクローゼットにしまってしまえば、本人は何も
困らないので、自分ができなくても問題にしません。逆に、取り込んだ服をそのまま
部屋に置いておけば、自分で片付けるしかありません。自分なりにたたみ方を
学んだり、しまい方を工夫したりするでしょう。
これこそが子供の成長にとても大事なことだと思っています。
最近は過保護な親が増えていますが、大事に育て過ぎるのは本人の個性を殺して
しまいます。平均的な平凡な凡人の出来上がりです。
外を歩くのに道の小石をどかしたり、靴を履かせてあげるをつい手伝ってしまい
がちです。しかし、それでは子供の自主性がなくなり、自分で考える力が付きません。
手伝いを頼むのもいいです。その際はお願いはしても、やり方を教えてはいけません。
自分の頭で考えたり、手を動かすことで考える力がついてきます。また考えても
わからない場合には、聞いてくるでしょう。それも大事なことです。
自分が困れば、これからも他人に聞くことができるはずです。
「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」といいますが、わかる人に聞くのが
一番効率がよく理解しやすいのです。そのことを知っているだけでも、
人生を楽に生きることができることでしょう。
子供が興味なくても、あちらこちらに旅行に連れていき、自分の五感で
感じ取ってもらえば、かけがえのない財産になるはずです。
たくさん撮った写真が、何よりも心を温めてくれることでしょう。
月末には紅葉を楽しみにまた京都へ出掛けます。「また出掛けるの?」と口では
言いつつも、顔がにやけている娘の顔が目に浮かびます。出掛けるのは面倒でも
友達には自慢できるとのことです。きっかけは何でもいいから、一歩先に
踏み出す手助けこそが、親の存在価値なのではないでしょうか。