「人間は考える葦である」とパスカルは言いました。
思考があるのが、知的生命体である証拠であり、人間たる所以です。
しかし、現在では多くの人がこの「考えること」を放棄して人間を辞めている
人が多くなっているのではないでしょうか?
人間は基本的に考えたり、面倒なことが嫌いな生き物です。
この大前提があるため、一部の思考マニアがイノベーションを起こし、大富豪になり
大衆の大半が支配され、思考停止ゾンビとして、徘徊することになるのです。
では、なぜ人間は考えることが苦手なのでしょうか?
その前に人間が目を背けたがる嫌なものを見ていきましょう。
まずは「死」です。
死は生き物に絶対訪れるものであり、唯一平等なものです。
必ずやってくるものであっても、我々は死について考えることはありません。
むしろ、他人事のようにさえ感じているはずです。
次が「孤独」
人間は生まれてくるときと死ぬときはひとりです。
しかし、生きている間は誰かのぬくもりが欲しくてたまりません。家族や恋人や
友人などにそれを求めて孤独感を感じないようにしています。
最後が「責任」です。
この言葉に”ドキッ”とした方もいるでしょう。
誰もが嫌いな責任感です。誰だって自分のせいにされて傷つきたくないものです。
これら3つの嫌な事から逃避するとき、人間の思考は停止します。
つまり、死を考えないようにするために、他事に情熱を持って没頭する。
聞こえはいいようですが、一部の思考マニアのように、朝から晩まで考え抜いて
成功するビリオネアたちとは違い、一般人はスマホやゲーム、エンタメに逃避する
のです。このため少しでも空いた時間に思考してしまうのを恐れてスマホ中毒に
なっていくのです。
さらに、孤独を感じないためにSNSにのめり込み、自分の同士や下位互換性の
人間を見つけ、安心感を得て孤独感を紛らわしています。
また、責任を逃れるために、誰かに雇われ一生社畜として生活して満足します。
引き籠りや独身も同じように責任を逃れるために自分を正当化している例でしょう。
なぜ人間は考えることをやめてしまったのかという最初の疑問に戻ると
その答えは嫌なことから目を背け、圧倒的に楽に生きられるからです。
スマホを見ているときや、動画を見ているときは思考は停止しています。
喜怒哀楽はあるかもしれませんが、脳は働いていません。よくネットで書き込みを
して議論になっているものもありますが、結局は自分と違う考えがゆるせなくて
持論を押し通そうと怒っているだけであって、それも脳は停止しています。
ここでひとつ疑問に思うことがあります。
楽して生きるのはだめなのでしょうか?
自分を変えてまで、思考しなければならないのか?
私は楽をしたい人はすればいいと思います。
無理に自分を変えて、ストレスを抱えて生きるくらいなら、今のままでいいのです。
しかし、責任は最後まで付き纏います。
どんなに逃げても責任はなくなりません。後回しにしているだけで、いつかは
責任を取ることになります。ならば、責任と向き合って生きるしか方法はありません。
自分がどんな生活をしたいのかを考えて、今よりも良い生活をしたいのなら、
何をしなければいけないのかを思考しなさい。
現状を維持するか、悪くなっても構わないなら、思考しないゾンビとして、
楽した生活をしなさい。
結局は自分がどんな生活をしたいかです。
私は海外旅行もしたいし、よい時計も欲しいし、よい車にも乗りたいです。
だから、毎日しっかり自分の頭で考えて生きています。