日本は我慢を美徳とする国です。
戦時中も「欲しがりません 勝つまでは」をスローガンにして我慢の果てに敗戦へと
向かいます。戦後復興は肉体的我慢の末に成し遂げた偉業であります。
最近の若い子は我慢ができないと老人たちはよく言いますが、確かにすぐに
投げ出してしまう傾向があるのかもしれません。
身近であり、よく使う我慢という言葉。
あなたはどこまで知っていますか?
辞書を引くと「我慢とは辛抱強く耐えること」とよい意味で記載されています。
しかし、我慢とは本来仏教用語で、あまりよい意味ではありません。
自分の中心に「我」があるという考えから、我を自ら高くして、他を侮ることと
説明しています。つまり、傲慢になって他人を見下すということですね。
仏教では、そのようなおごり高ぶる心を七つ挙げ、「七慢」と
称していますが、我慢もそのひとつです。
それから我が強い、負けん気が強い、がんばる、辛抱する、このように変化していった
ようです。本来悪い意味だった言葉をよい意味に解釈する。お坊さんの臨機応変力には
脱帽です。
さぁ、現在では意味の変わってしまった我慢ですが、そこにある本当の意味を
理解していない人が多いのです。
我慢とは、災難が降りかかっても辛抱強く耐え忍び、災難が過ぎ去るのを待ちます。
多くの人がこのような解釈で理解しているのではないでしょうか?
お腹がすいたら、我慢して空腹に耐える。
嫌な仕事も我慢して一日が過ぎるのを待つ。
欲しいものが買えなくて、我慢して涙を流す。
このようなことを美徳だと思って、また我慢をする。
しかし、我慢の本当の意味とは、辛抱強く耐え忍ぶことだけではなく、耐えながら
試行錯誤を繰り返し、災難を打開する道を模索することです。
お腹がすいたのなら、食べ物を手にいれる方法を考える。菜園を作る。
嫌な仕事ならば、楽しくなるように工夫をする。だめなら転職を考える。
欲しいものが買えないなら、計画的に貯金をしておく。投資をして資産形成する。
何かしら打開策を考えなければ、現状は変わらないし、自分が辛いだけです。
ですので、大事なのは試行錯誤をすることなのです。
アインシュタインの言葉に「狂気とは、同じことを繰り返しているだけなのに
異なった結果を期待することだ」というものがあります。
何も変化を起こさないくせに、良い結果だけを望むという、矛盾した欲張り
人間に対する戒めの言葉です。
現代人にとって我慢は狂気のようなものなのでしょう。
そして耐えきれなくなった狂った心は、終焉を望みます。
うつ病や自殺者の増加は、我慢の間違った解釈による弊害なのかもしれません。
今こそ、我慢の本当の意味を理解して、現状を打破して、楽しいこと、やりがいの
あることに没頭しましょう。燦然と輝く未来は、待っていてもやってきません。
自分で作っていくしかないのです。