人間は心の平穏を求めています。
しかし、社会で他人と共に生きる以上、荒波が押し寄せ、簡単に感情が
揺さぶられます。怒ったり、イライラしたり、笑ったり、泣いたりと。
多くの人が感情の振れを嫌い、厚い壁を作り、自分を抑え込もうとします。
でも、それは本当に人間なのでしょうか?
進化の過程で余分な機能は淘汰されました。今残っている機能は感情を含め
必要なものなのです。
ある仏教僧の言葉に「人間は竹のようにあるべきだ」という言葉があります。
竹はしなやかで、どんな嵐や大雨のような災害も受け流して、
折れることはありません。災害が過ぎ去れば、元通り真っすぐ上を向きます。
人間も同じように、壁を作って守るのではなく、感情を受け流して傍観して
いれば、過ぎ去るものです。壁は強靭なもののように感じますが、ダムのように
厚いコンクリートでも亀裂が入れば、一気に崩壊します。これが感情の場合、
キレるということなのでしょう。
人間は感情が湧き出てくると、慌ててそれを何とかしようと、もがいてしまいます。
しかし、人間の感情は水面の波紋と一緒です。波紋を消そうとしても、余計波紋が
広がって収束しません。解決方法はただ波紋は落ち着くまで、ただ待つことです。
怒りは6秒我慢すれば理性が抑え込んでくれます。我々ができることは
ただ怒りがあることを認識して、傍観するだけ。無理に抑え込んだり、
余計なことをする必要はないのです。
喜怒哀楽は人間が人間であるために必要な感情です。
揺れ動く感情があるからこそ、他人に寄り添えたり、思いやりの心が芽生えます。
だからこそ、感情が出ても問題ないのです。
一番の問題は引きずることです。
一休禅和尚のお話があります。
一休禅和尚が弟子と共に町に托鉢に出掛けました。そこで焼いているウナギの匂いを
嗅いで、和尚は「美味しそうな匂い」だと弟子に言いました。弟子は「そんな
なまぐさではいけません」と言って和尚を嗜めて寺に帰りました。帰った弟子は
「美味しそうないい匂いでしたね」と和尚に言うと、和尚は「まだそんなことを
言っているのか。わしはその感情はその場に置いてきた」と言われたそうです。
一休禅和尚ほどのお方でも美味しそうなものには反応してしまいます。
しかし、いつまで引きずらず、気持ちの切り替えが上手にできるところが
聖人と言われる所以です。
我々は我慢したり、押さえつけて人生をより苦しくしています。
感情が沸き上がっても普通なのです。感情に振り回されるのが問題なだけです。
ただ過ぎ去るのを待ち、気持ちを切り替えて次に進む。
これを繰り返せば人間らしく、幸せに生きられるはずです。
自分のこころに素直に向き合ってみましょう。