「人生とは映画である」
よく耳にする格言であり、まさしく人生とはドキュメンタリー映画そのものでしょう。
しかし、多くの人が自分の映画の脚本を書くこともせず、行き当たりばったりの
演技を強行している。そのため終わり方がわからず、日々奔走した人生になって
しまう。映画とは最初にどんなストーリーにするかを考えて、脚本を書き、
登場人物や展開をシナリオに落としていくものである。それに従って人生設計
していけば、自分の進むべき道、自分の成すことが、明確になるはずだ。
まずは自分の人生が、シリアスなのか、コメディーなのか、ハッピーエンドなのか、
バッドエンドなのかを大まかに書き出してみよう。
自分は監督であり、脚本家であり、映画の主演俳優なのだ。
しかし、自分が主人公でない人も多数いる。自分の役に徹しきれず、
他の人の映画ばかりを見て一喜一憂している。
他の人の作った映画では、失敗もなく面白く制作されていると思い込んでいる
のではないだろうか。だけれども、どんな名作と呼ばれる映画であっても、
大ヒットしたドラマでも、一筋縄で完成されたものではない。多くのNGシーン
という失敗を繰り返して、奇跡的に撮れた一枚の積み重ねが、名作なのである。
どんなに良くみえる他人の人生も、陰では見えない失敗の繰り返し。
それでも諦めず努力した結果だけなのだ。
他人の成功を妬んでいる暇があるならば、自分の映画の完成度を上げることに
全力を尽くした方が、余程人生を楽しめるのではないだろうか。
人間とは毎日ストレスを感じて生きている。
その多くは人間関係からが多い。嫌いな人や馬の合わない人との人間関係に
悩んでいないだろうか。映画で言うなら、通行人やエキストラの演技にいちいち
目くじらを立てて、指導しているようなものである。要は彼らを映画の重要な
ポジションだと誤解してしまっている。そのため精神がすり減って疲れてしまうのだ。
重要な配役にだけ目を向け、エキストラは背景の一部として無視をする。
誰が自分にとって大事な共演者かを再確認しよう。
誰もが自分の好きな映画がある。
ストーリーかもしれないし、俳優かもしれない。映像の雰囲気なのかもしれない。
でも、その好きの感覚は確かなものである。その好きを追求した先に自分の
理想とする人生が待っている。
全米が泣く映画を作らなくてもいいし、興行収入一番になる必要はない。
一人ひとりの映画が唯一無二であり、かけがえのない名作なのである。
自分は決して格好悪い、惨めな主人公ではない。どんな主人公も最後には
格好良く、成功している。成功のカギはどこまで自分を信じられるかだ。
理想とする人物像を描いて、それに向けてシーンを重ねていく。
最終目標がしっかり定まっていれば、いずれ理想像になっているはずだ。
自分で自分を信じていなかったら、誰が自分を信じてあげるのか。
さぁ、自分を信じて、映画の製作にとりかかろう。
観客はもちろん、未来の自分だ。