我々は普段意識していませんが、脳内に予め用意してある文法があります。
人の話を聞いたときに、脳内では一言一句漏らさずに記憶しているわけではなく、
相手の話のキーワードだけを抜き取って自分の文法に当て嵌めて理解しています。
これは自分の脳内だけにある文法で「メンタル文法」と呼ばれています。
要は経験則や知識と言った自分の持っている背景のことです。
相手のメンタル文法が自分と近い場合には、話がスムーズに聞き取れますが、
大きく隔たりがある場合には、会話が嚙み合わなかったり、言っている意味が
解らなかったりします。
例えば、あなたが株式に投資したいと考えています。
本を読んで、しっかり勉強したので、投資や経済についての仕組みは理解しています。
全く知識もない友人に投資の話をすると、「そんな怖いものに手を出すなんてどうか
している」と一刀両断されます。このすれ違いの原因がメンタル文法の相違なのです。
私たちは皆、脳内に自分だけのメンタル文法を持ち、そのフィルターを通して
人の話を聞いています。つまり、人の話を自分の理解しやすい形に当て嵌めている
のです。
その働きのお陰で、スムーズなコミュニケーションが取れるのですが、その一方で
意図しない作用を引き起こしてしまう可能性があります。
例えば、物事がうまく行っているとき、誰に何を言われても自分の良いように
解釈してしまうことがあります。注意されているのに、応援しているように
感じたり、嫌みを言われているのに褒められていると感じるといった具合です。
逆にうまくいっていないときは褒められているのに、嫌みに感じたりします。
受験生に「落ちる」「滑る」は禁句みたいな話もメンタル文法に由来していて、
追い込まれている人ほど、マイナスの言葉に過敏になってしまうのです。
私たちは常日頃からたくさんの言葉を使って生活していると自負していると
思いますが、成人が使う言葉の数は約1万語と言われています。しかし、
辞書には約50万語掲載されていると言われます。さらに、知っていても
使わない言葉も多いので、日常的に使う語彙はほんの僅かです。
私たちは自分の使っている言葉がすべてで、自分の言葉こそがいいと思いがちです。
そしてその言葉から生まれたメンタル文法によって、自分の行動が決まってきます。
誰もが偏って言葉を使っていることを理解して、他人の言葉を受け入れていく
姿勢を持つことこそが、自分の可能性を広げます。
国語辞典を読んだり、類語辞典で他の言い回しを調べたりすることで、語彙数が
増えて、結果的に自分のメンタル文法が広がり、視野も広がります。
最近の子は「やばい」の一言ですべてを表現している子もいますが、
その語彙力では脳もパニックを起こし、感情をうまく表現できなくなります。
折角、多彩な表現があり、美しい日本語の国に生まれたのですから、
多くの言葉を勉強して、使いこなしましょう。天気や感情だけでも無数の
言葉が存在します。それに触れるだけでも、人生が豊かになり人間的に
成長できることでしょう。