私たちはいつも幸せを探しています。
「良縁に恵まれたい」「お金持ちになりたい」「出世したい」
しかし、幸せはと一体何なんでしょう?
結婚が幸せだと思う人もいれば、独身でも幸せな人もいます。
お金がなくても家族に囲まれて幸せな人もいます。
高い地位にいなくても、充実した仕事に満足している人もいます。
幸せとは定義が難しいもののひとつです。
人によって基準や感性が違うため、一概にこれが幸せと言えません。
つまり、定義が曖昧な故に幸せを追い求めることは、空の雲を追うかの如く、
実際近づいても手に入らないものではないでしょうか。
幸せとは気づいたときに傍にあるものです。
童話「青い鳥」でも、幸せはすぐ近くにあるのに気が付かず、
途方もない旅路をしてしまいます。
まさに幸せを追求し過ぎる人は、これと同様に今ある幸せに気づいていないの
でしょう。
「晴天で気持ちのいい朝」「美味しいご飯」「鳥のさえずり」
「信号で止まらず通勤できた」「卵を割ったら卵黄が2つだった」
代わり映えしない日常においても、気付かないだけで幸せだと思うことは
溢れています。感度が鈍っているのでしょう。
感度が鈍る原因はネットやSNSにあります。
大事件や面白い動画が多く投稿され、それと比較してしまうと日常生活が
つまらないものだと感じてしまうのです。他人との比較が自分を貶めて
自己肯定感を下げていきます。人間は誰しもユニークであり唯一無二の
存在だということが忘れてしまっているのでしょう。
スマホを触る時間を減らすことが幸せを感じることに繋がります。
「自分は十分に幸せなのだ」と毎日自分に言い聞かせ、他人と比較せず、
自分のやるべきことを全うすること。自分の信じる道を突き進んだとき、
幸せは傍にいるはずです。
人生80年なら、たった4000週しかありません。
長い人生も週で表すと僅かな時間です。
時間を無駄にしている暇はありません。
毎日を全身全霊の力を込めて立ち向かいましょう。
その毎日の積み重ねが、人生であり、楽しみであり、幸せなのです。