有心の百錬、鋼を成す!

常に自分の成長を目指して!

日本の教育に抜本的な改革を

人間が行うコミュニケーションには2種類あります。

一つは共感型。もう一つは論理型です。

 

共感型は人の感情に共感する方法です。

例えば、子供が泣いていたら、「悲しいね」「痛かったね」と自分のことの

ように感じることです。

論理型は客観的に見て、解決法を模索する方法です。

子供が泣いていたら、「おもちゃが壊れたり、失くしたのか?」「誰かに

いじめられてケガをしたのか?」と考え、原因に対処することです。

 

多くの人は共感型だけがコミュニケーションだと思っていて、相手の気持ちを

共感して理解しようとします。

しかし、他人は自分と同じではないので、共感できないこともたくさんあります。

他の対応を知らない人は相手が理解できないので、嫌いになり距離を置きます。

 

論理型のコミュニケーションでは、相手を客観的に観察します。

「相手ならどう考えるか?」「あの人ならどう行動するか?」など

相手の立場になって考えることです。たとえ、自分にとって嫌なことであっても

相手の行動だから仕方がないと割り切れます。

さらに自分にはない考え方であれば、見聞を広める絶好のチャンスです。

積極的に取り入れたり、そうした思考への対応を学びます。

 

若者に足りないのは、論理型のコミュニケーションではないでしょうか?

 

好き嫌いだけで生きていけるほど世の中は甘くないし、自分が苦しくなるだけです。

欧米と同じく個人主義に移行してきているのは良いことですが、肝心の哲学や宗教的な

思考回路が追いついていない感じがします。やはり家庭での哲学的な教育が

必要なのでしょう。学校では他人との比較ばかりで、「どう生きたらいいのか」

「どんな人格の人間になればいいのか」までは教えてくれません。

結局生き方がわからず、好き嫌いだけで物事を判断し、自分の気にいらないことからは

目を背けて逃げ出す。

 

教育機関の一部では、これからはそんなZ世代、α世代が主体になってくることに

懸念を感じて、若者が生きやすいような環境を整えていくとのことです。

しかし、それでは日本人の質が低下していき、最貧国へと突き進んでいくことに

なり兼ねません。

下の人に合わせるのではなく、若者に明るい未来を感じさせる社会を創り、

みんなで向上していける世の中にしていかねば、日本は終わります。

今こそ、偏差値主義や相対評価をやめて、個々の長所を伸ばしてあげる教育を

するべきです。

SNSや遊びの楽しさだけでなく、自己成長を楽しめる人が増えてくることを

願っています。