静岡市美術館で開催されている「西洋絵画の400年」を見に行きました。
本当は娘を誘って一緒に行きたかったのですが、「面倒くさい」「絵には興味がない」
と一刀両断されてしまい、結局妻と二人でデートすることに。
私自身、そこまで絵画に興味があるかと言われれば、そこまで思い入れは強くなく、
描き方や技術的なことはもちろん、バロック調やロココ調などと言われても
チンプンカンプンのド素人です。自分の子供時代も親に美術館に連行されて、
苦行だったことを思うと我が子の反応も頷けます。
しかし、昔から本物の美術に触れる機会があっただけに、「この絵はルーブル美術館
で見たことがある。」「この作家のタッチが好きだ」と
自分なりに楽しむ方法が身に着き、意外と大人になってからは美術館という場所が
今までのような修行場ではなく、180度姿を変えました。
「通」ぶっている発言をしていますが、先ほど言ったように知識は皆無です。
絵を見た感想は「すごい」「上手に描けてるじゃん」そんなものです。
とてもプロの画家に対する感想とは思えないくらい幼稚ですよね。
失礼極まりない。
自分でもあまりにひどいなと思い、妻に聞くと彼女も同じような感想でした(笑)
似たもの夫婦なのかもしれません。
しかし、美術の楽しみ方は人それぞれ。「この色使いが好き」「この描写力に
感動した」など、個人の感想千差万別。要は細かい知識や歴史的背景を
知らなくても、自分の好きを発見する場所が美術館なのです。
普段、我々は自分というものを意識せず、「自分を説明して」と急に言われても
わからない人が大半なのではないでしょうか?
自分を理解することは、可能性を広げ、立派な人格を形成するのに必要なものです。
帰りの売店で、ついさっき見てきた絵のポストカードや額縁に入ったレプリカが
ありましたが、実際に絵を見た時の感動がないことに気付きました。
デジタルの時代になり、ネットを見ればすぐに名作に出会える世界です。
しかし、そこには本物を見た時の感動までは得ることができません。
目の前で本物を見てると、「予想以上に大きい絵だった」「布の質感が美しい」
「タッチによって光沢感が出ていた」などのデジタルではわからない
気付きが得られます。そういう意味ではデジタルは似て非なるものであり、
偽物だといっても過言ではありません。
「人間は食べた物で、できている」という格言がありますが、自然由来の物や
旬の物を食べている人は体の細胞は、それらで形成されるので、自然な体に
仕上がります。一方、加工食品ばかり食べている人は、体の細胞が工業製品で
作られているようになります。それでは体が弱り、不健康になるのも頷けます。
同じように、人間は見たもの、聞いたもの、触れたものによって形成されています。
いつもデジタルの偽物ばかりに触れていると、自分は偽物で出来上がり、
感情に乏しく、貧相な人間になってしまいます。
逆に、本物の絵画をみたり、ライブ会場で音楽を聴いたり、高価な時計などを
触ってみることにより、五感が発達して、上質な人格が形成されてきます。
そのような人は日常生活でも楽しみを見つけ、小さい幸せに感謝して、
余裕のある人生を歩むことができます。
是非、我が子には本物に触れる機会を作ってあげたいと常日頃から考えて
おりますが、面倒くさがりな性格が邪魔して、なかなかうまくいきません。
誰か、子供に興味を持たせる秘訣があれば教えてください。