「哲学」と聞くと恐怖で逃げ出す人もいるかもしれません。
すごくお堅い学問だと認識している人も多いでしょうし、「我思う、ゆえに我あり」
などと意味不明な迷言をいっていた哲学者もいるため、はっきり言ってよくわからない
学問です。
しかし、ここで宣言しておきたいと思います。
わたしは「子供に哲学を勉強してほしい」と。
妻に言えば気が狂っているのかと罵倒されそうですが、実は哲学とは人間が
人間らしく生きるために必要なものだからです。
あまり哲学に実感のない人もいるでしょうが、実はわたしたちの身の回りに
たくさん溢れています。たとえば、仏教やキリスト教と言った宗教も哲学の
お仲間です。簡単に言えば、人間は「どう生きるべきか」を教えるのが
宗教です。人間関係に悩んだり、どんな生き方をすればいいのか迷ったときの
道標のようなものだと思ってください。今や宗教はお金や欲望の巣窟になっている
イメージですが、本来はしっかりとした教育機関なのです。
また哲学の重要なことは「疑問を持つ」ということです。
現代は情報に溢れて、良い情報も悪い情報も自分が望まなくても入ってきます。
悪く言えば、自分で考えることもなく、ただ情報に踊らされているのが現代なの
でしょう。かつての哲学者たちは、まだ世界がわからないことばかりだったため、
必死に疑問を投げかけ、答えを探していました。
「宇宙とはなんだ?」
「世界はどうなっているのか?」
コロンブスは大西洋の果てに何があるかを疑問に思いアメリカ大陸を発見しました。
アインシュタインはニュートンの物理法則に疑問を持ち、相対性理論を確立しました。
世の常識だと思っていたことも数年先には非常識になる可能性もあります。
疑う姿勢を持つことで物事の本質を見極める力が付くことでしょう。
目の前のテーブルにりんごがあったとします。
あなたはそれをみて「美味しそう」と思います。
しかし、あなたが見ているのはりんごの一部分でしかありません。
もしかしたら、裏側が虫に食べられたり、腐っている可能性もあります。
または、小さい肉食エイリアンがあなたが近づくのを待っているかもしれません。
疑問を持たないとは、りんごの一部だけをみてりんご全体を把握したと勘違い
することなのです。本当のことは疑い、自分の目で全体を見てみるしかありません。
哲学とは難しい学問ではなく、単純なことに疑問を持ち、いろいろな角度から
物事を観察する習慣をつけることなのです。ひとつのことを見て、2つ以上の
見方ができれば、あなたは立派な哲学者です。
それはこの混沌とした世の中を自分らしく、正しさを持って生きるために
必要なことではないでしょうか。そんな人間に子供もなってほしいと願っています。