有心の百錬、鋼を成す!

常に自分の成長を目指して!

無限の世界

「この世に正しいものはない」

唯一あるのは主観的な正しさだけです。

人間は絶対的な正しさがあると思い込んでいますが、現実は脆く儚いのです。

例えば、野球のストライクやボールの判定も審判次第であり、機械の判定で

ない限り正確ではありません。しかし、それぞれのファンは自分が都合のよい

判定をしたときだけ真実だと確信します。所詮は人間の判断なので、間違うことも

あるでしょう。それが我々が認識している正しさなのです。つまり、人間の数だけ

真実があるということです。

 

私たちが住んでいる(認識していると言ってもよい)世界はひとつだと思っている

でしょう。実際、物理的には宇宙から見れば地球はひとつです。しかし、意識レベルの

話をすれば、世界とはそれぞれの周囲にあるシャボン玉の空間のようなものです。

それが自分の世界であり、独自の世界観でもあります。そのシャボン玉の中には

これまで経験してきた知識や価値観、物の見方や信仰などで満たされています。

その大きさはどれだけ世間と接してきたかの指標になります。社交的であり、

多くの人と接することの好きな人は、大きなシャボン玉になることでしょう。

反対に引き籠りで他人との接点のない人は自分の周りにしか境界線がなく、

シャボン玉が他人の世界と交わることはないのです。

このシャボン玉が他人とぶつかるとき、反発するか融合するかが分かれます。

つまり、他人の世界を自分が受け入れることができる人は、シャボン玉がぶつかって

ひとつの大きなものになるように、自分の世界が広がります。

これは人だけに限った話ではありません。

旅や自然、本など我々が生命として認識していないものでも

独自の世界(シャボン玉)を持っています。

個々のシャボン玉をいかに大きく成長させるかが、我々の生きる使命なのでしょう。

そのためには人や物に触れる機会を作るだけでなく、「絶対的に正しいものはない」

ことを認識しなければなりません。

 

他人の世界を受け入れるとは、正しさを諦め、認めることです。

自分の正しさも、相手の正しさもどちらも真実なのです。

凝り固まった頭はシャボン玉を硬くして、衝突したらすぐに割れてしまうように

なります。これでは常に臨戦態勢になり、境界線を小さくし怯えていきなければ

なりません。それが生きづらさの原因です。

 

この宇宙の漂う星のように、無限の世界がわたしたちの周りには存在しています。

それらを認め取り込んでいくことによって、我々は前に進むことができ、

充実した人生を楽しめることでしょう。世界とはそんな存在です。

決して手の届かない壮大なものではなく、一番身近にある「あなた」の味方です。

さぁ、目を凝らして周りを見渡しましょう。あなたの世界は見えましたか?