有心の百錬、鋼を成す!

常に自分の成長を目指して!

日々を大切に感動して生きる 

今日10月26日はわたしの誕生日です。

43歳のわたしよ。「誕生日おめでとう」

この年になると42なのか43なのか44なのかがわからなくなります。

正直どうでもよいことでしょう。

大切なのはどう生きているかであって、自分が信じた価値のあるものに囲まれて

生きてこそ、最良の人生だと確信しております。

 

しかし、毎日のように読書を続け、食事に気を付け、運動して、遊びや旅行にも

精を出しているのにも関わらず、未だに真理に辿り着けない自分がいます。

どんなに知識を得ても、この世の理を理解できるわけでもなく、どんなに食事や

運動を気を付けても、痩せていくわけでもない。遊びや旅行を楽しんでいても

次の日の仕事が気になってしまう。

はっきり言って、自己成長に力を入れるほど、無力な自分に嫌気がさします。

 

このような経験をお持ちの方は多いと思いますし、時に我々は過酷な現実や真実を

直視しない傾向にあります。それはどんな自分になりたいのかわかっていない、

もしくは、固執し過ぎているのかもしれません。前者は何も考えずに流されて

生きている人、後者はわたしのように自己成長に切磋琢磨している人です。

 

仏教には「諸法無我」という言葉があります。

この世に存在するすべてのもの(諸法)は、これ(我)というものはないという

意味です。この世に存在するあらゆるものは、独立して存在するものではなく、

お互いが因縁によって、「今、仮に成り立っているだけ」という状態で、常に

移ろい変わっていきます。したがって、「これがわたし」という絶対的なものは

ないので、自分というものにこだわらないのが大切だということです。

 

また人生の目標とゴールを勘違いしているのも、心理的な負担になってしまいます。

例えば、結婚をゴールとしてしまうと、それ以降の生活に価値が見い出せず、

破局してしまうことでしょう。20Kmのマラソンを走った後に、本当のゴールは

さらに20Km先だよと言われてもモチベーションが上がらないと同じです。

食事や運動の本当のゴールは老後に寝たきりにならず、最期まで自分の足で歩いて

楽しむことです。明日や1週間後の成果ではないのです。

 

今、特に生活に不満を感じていないなら、おおいに満足すべきであるし、

最高の人生を送っているのです。理想の自分を想像するのは大事なことですが、

固執してはいけません。どんな自分でも自分なのだから、人生を思いっきり

楽しめばいいのです。小春日和で気持ちがいい。サンマが美味しかった。

サプライズでプレゼントをもらった。些細な事でも毎日がスペシャルで、

驚きや感動に溢れ、本当に世界は輝きに満ちています。

自分の感性を研ぎ澄ませ、頭を柔軟にして、楽観的に生きていく。

これがわたしのこの一年の課題です。